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大阪地方裁判所 昭和61年(タ)156号 判決

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

東幸生

被告

大阪地方検察庁検事正

村上流光

主文

本件訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  亡乙山次男が昭和三三年二月二二日付大阪府東大阪市長に対する届出によりなした原告に対する認知は無効であることを確認する。

2  訴訟費用は国庫の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  主文第二項と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和三二年一一月五日、河内市〈住所省略〉において、在日韓国人であつた甲野正(帰化前の氏名、文○○。以下「正」という。)と日本国民であつた丙田花(現在の氏名、甲野花子。以下「花子」という。)との間の子として出生した。原告出生の事情及びその後の経緯は以下のとおりである。

2  花子は、○△ナット製作所の経営者であつた在日韓国人の亡乙山次男(韓国名、文△△。以下「亡乙山」という。)と終戦間近から事実上の婚姻状態にあり、昭和三一年ころまでに亡乙山との聞に春子、夏男、秋治、冬雄の四子をもうけていた。

3  ところが、花子は、昭和三一年一二月ころから○△ナット製作所の住み込み従業員であつた正と親密な交際が始まり、以後亡乙山とは性交渉をもつていなかつたところ、間もなく原告を懐妊するに至つた。

4  亡乙山は、花子の懐妊から花子と正の関係を知つて激怒し、花子に自分との婚姻届の提出を迫つた。花子は、亡乙山の右申し出を断わつた場合の同人との間に出来た四人の子の行く末を心配し、昭和三三年二月二二日亡乙山との婚姻届を提出した。その際、亡乙山は、生まれてきた原告を自分と花子との間の子であるとして同日付で認知届を提出した。その後、花子と原告は、同年七月三〇日に、同月一四日付告示により日本国籍を離脱し、韓国籍だけを有することになつた。

5  しかしながら、花子と正との関係は、亡乙山の右のような強引な入籍、真実に反する認知、国籍離脱によつても途絶することなく、昭和三三年一二月、二人は原告を連れて出奔し、大阪市西成区松通りのアパートへ住居を移した。

6  花子は、昭和三九年八月三日亡乙山と離婚し、昭和四七年八月二四日正と正式に婚姻した。

7  花子と正は、婚姻後、原告が亡乙山の実子として認知を受けているのは真実に反するので、大阪家庭裁判所に認知無効の調停を申し立てた。しかし、亡乙山は事実関係を承認しながら、正とのそれまでの行き掛かり上飽くまで調停に応じず、調停は不成立に終つた。そこで、正は昭和四九年三月一日やむなく自らの子である原告を養子とした。

8  昭和四九年二月六日、正と花子は韓国籍を離脱し、日本に帰化した。

9  亡乙山は昭和四九年九月三日死亡した。

10  なお、本件の準拠法は法例一八条の一項により、認知当時、子である原告の属する国の法律である日本法が適用されると思料する。仮にそうでないとしても、本件事態はわが国の法制度上ありうべからざることであり、韓国法を適用するのは公序良俗に反する(法例三〇条)。

よつて、原告は、被告に対し、亡乙山の原告に対する認知の無効確認を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因事実のうち、昭和三二年一一月五日、原告が丙田花子として出生した旨届出されたこと及び亡乙山が昭和三三年二月二二日原告を認知する届出を提出したことは認めるが、その余はすべて不知。

第三  証拠〈省略〉

理由

一その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第一(原本の存在及びその成立も)ないし第五号証(但し、第一及び第五号証は外国公文書)、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  朝鮮(現大韓民国)の国籍を有していた亡乙山(大韓民国名、文△△。本籍、済州道北済州郡涯月邑水山里五〇〇番地)は、西暦一九〇〇年(明治三三年)八月二三日生まれであり、遅くとも昭和一九年ころには、大阪市浪速区に居宅兼工場を持ち、○△ナット製作所を経営していた。当時、正妻である朴□△は朝鮮に居住し、大阪の右住居では、亡乙山が四人の子供とともに事実上の婚姻関係にあつた李△×(西暦一九〇四年九月二〇日生)と生活を送つていた。亡乙山は、昭和一九年二月一九日朴□△と協議離婚し、同年一一月二日李△×との婚姻の申告をした。

日本の国籍を有する花子(当時の氏名、丙田花。大正一一年三月九日生)は、昭和一九年ころ、尼崎市に住所を有していたが、亡乙山方に家政婦として通うようになつた。ところが、大阪に対する空襲が激しくなつたため、間もなくして李△×は下の子二人を連れて朝鮮へ帰ることになり、同女に代わつて花子が亡乙山の家に同居して家族の世話をすることになつた。そのころ大阪市浪速区の亡乙山の居宅兼工場が戦災に遭つたため、一家は布施市(現東大阪市)菱屋東へ転居した。

亡乙山と花子は同居するようになつてから事実上の夫婦として生活し、昭和二八年ころまでに四人の子をもうけた。しかしながら、亡乙山は酒癖、女癖が悪く、夜は頻繁に外へ出掛けて行つて、花子をないがしろにし、昭和三〇年ころには同女との性交渉もほとんどなくなり、夫婦喧嘩が絶えなかつた。

2  朝鮮(現大韓民国)の国籍を有する正(大韓民国名、文○○。昭和五年八月三〇日生)は、昭和三〇年一月から工員として○△ナット製作所で働くようになり、亡乙山の住居に隣接する寮に入つたところ、酔つた亡乙山が大声を出して花子と夫婦喧嘩をしているのが聞こえてきて仲裁に入ることがしばしばあり、更に花子から夜外出がちな亡乙山についての愚痴を聞かされているうち、同女と親しくなり、翌三一年九月ころから情交関係をもつようになつて間もなく、同女から正との間の子を懐妊した旨告げられた。

3  亡乙山は、花子が自分以外の男性の子を懐妊したことを知つて激怒し、子の父親が正とわかつてから同人に対し花子との関係を絶つて別れるよう要求し、原告が昭和三二年一一月五日に出生した後の翌三三年二月二二日、花子と正を引き離すため、それまで入籍していなかつた花子との婚姻届を大阪府布施市長に提出し、同時に原告を認知する旨の届出も提出し、いずれも受理されてその旨戸籍に記載された。花子と正は、間もなく亡乙山が原告を認知したことを知つたが、両名の立場上それに対し異議を申し立てることはできなかつた。

なお、花子、正及び原告の血液型はいずれもB型であり、亡乙山はO型である(したがつて、血液型は、正と原告が血統上の父子関係にあることと矛盾しない。)。

その後丁本某ほか四、五名の近所の人が仲裁に入つて亡乙山、花子及び正が話し合つた結果、正が○△ナット製作所を辞めて原告を連れて出て行くことになつたところ、同年一二月、正とともに花子も亡乙山のもとを出て、原告と三人で大阪市西成区松通西へ転居した。正は、その後亡乙山から花子を返すよう要求されたが、これに応じなかつた。

正と花子が原告を連れて亡乙山のもとを去つて数年したころ、亡乙山と花子との間の二女春子(昭和二二年六月二九日生)が、花子を慕つて西成区の正と花子のもとへ来たので、以後春子も同居することになつた。正と花子は、昭和三八年に一家で大阪市住吉区大領町へ転居し、昭和四五年に同区××の原告肩書住所地へ転居して現在に至つている。

4  正と花子は、昭和四〇年八月六日長女月代をもうけた。

その後、正と花子は、亡乙山が昭和三九年八月三日に花子との協議離婚の届出をなしていたことを知つたので、昭和四七年八月二四日二人の婚姻の届出をなし、翌二五日それまで同居して生活してきた春子を正の養子とする養子縁組の届出をなした。正は、亡乙山の認知によつて戸籍上同人の子と記載されている原告については、戸籍上も実子としたいと考え、同じころ大阪家庭裁判所に亡乙山を相手として同人の原告に対する認知無効の調停を申し立てた。しかしながら、右調停の手続の中で亡乙山は原告が自分の子でないことを認めたが、認知に対する異議については韓国民法の出訴期間を徒過しているとして、結局調停は不成立に終つた。

5  そこで、正は、昭和四九年二月一六日、妻花子、原告らとともに日本へ帰化したうえ(なお、花子と原告は、昭和三三年七月三〇日に、同月一四日付告示により日本国籍を離脱し、大韓民国籍のみを有していた。)、同年三月一日、とりあえず原告を養子とする養子縁組の届出をした。

6  亡乙山は、その後も大阪府内に住所を有していたが、昭和五〇年一一月二三日死亡し、花子がその葬式をとり行い、正もこれに出席した。

7  正は、原告を花子との間の実子として育て、原告が大阪学院大学に入学した後の昭和五二年ころ、原告に対し、出生当時の事情を打ち明け、原告の血統上の父は正であるが戸籍上は亡乙山が原告を認知したので父と記載されていること及び亡乙山は既に死亡していることを説明した。

以上の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二管轄等

右認定事実によれば、本件は、日本に住所を有し日本の国籍を有する原告が、日本に住所を有し大韓民国の国籍を有していた亡乙山の死亡後、同人が生前なした原告に対する認知が無効であるとして、検察官を被告として認知無効確認を求めるものであるが、被認知者(子)である原告の住所がわが国にあるのであるから、国際条理上、わが国の裁判所が本件訴えについていわゆる国際的裁判管轄権を有すると解するのが相当である。

三準拠法等

事実上(血統上)の父子関係が存在しないことを理由とする認知無効確認請求事件は、認知の実質的成立要件の存否にかかる問題であるから、法例一八条一項により、その準拠法は、認知者たる父又は母については認知当時同人が属していた国の法律、被認知者たる子については認知当時同人が属していた国の法律であり、認知が有効であるためにはその双方の要件を具備することが必要であるところ、前記認定事実によれば、認知者である亡乙山は昭和三三年二月二二日の認知当時朝鮮(現大韓民国)の国籍を有していたから、同人については同国の法律により、他方被認知者である原告は、出生の時法律上の父子関係は不明であり、母花子は日本国籍を有していたから、昭和五九年法律第四五号による改正前の国籍法二条三号により日本国籍を取得し、昭和三三年二月二二日の認知当時日本国籍を有していたものであるから、日本の法律によることになる。

そこで先ず朝鮮(現大韓民国)の認知に関する法律について検討するに、同国においては、原告の認知当時(昭和三三年、西暦一九五八年)、朝鮮民事令(明治四五年制令第七号。大正一一年制令第一三号により一部改正されたもの)に基づいて日本旧民法(明治三一年法律第九号)が適用されていたが、西暦一九六〇年一月一日新民法(一九五八年二月二三日法律第四七一号)が施行され、同法附則二条により、同法は特別規定がある場合の外は同法施行日前の事項に対しても適用されることになつており、認知に関して特別の規定がないから、同法施行日前になされた本件認知については結局新民法が適用されることになるところ、同法八六二条は、認知の申告があることを知つた日から一年内に認知に対する異議の訴えを提起することができる旨、また同法八六四条は、父が死亡したときはその死亡を知つたときから一年内に検事を相手として右訴え等を提起することができる旨規定している。してみると、前記認定事実によれば、原告は、本件訴えを提起したことが記録上明らかな昭和六一年五月一四日より九年程前に、同人の血統上の父は正であるにもかかわらず亡乙山による原告に対する認知の届出がなされていること及び亡乙山が死亡したことを知つたのであるから、本件訴えは、大韓民国民法の定める右出訴期間を徒過していることは明らかである。

なお、原告は、本件において大韓民国法を適用するのはわが国の公序良俗に反する、と主張するので検討するに、わが国では認知無効確認の訴えにつき右のような出訴期間の制限はないが、大韓民国民法の右規定は、認知無効の訴えを認めたうえで、出訴期間を認知の申告があることを知つた日又は認知者の死亡を知つた日から一年に限定したものであつて、日時の経過に伴つて証拠が散逸し不明確になることにより、真実に合致した身分関係の発見が妨げられることを防止するとともに、身分関係の可及的速やかな確定を図るなどの要請に基づく一つの立法政策として、合理性を全く有しないものではないから、それ自体我国の公序良俗に反するものといえないことはもちろん、原告とその血統上の父である正が養子縁組をして親子として生活している本件においては、全証拠によつてもいまだ右規定を適用するとわが国の公序良俗に反すると言える程の特別な事情は認められない。

してみると、本件認知無効確認の訴えは、大韓民国民法の定める出訴期間(民法八六二条、八六四条)を徒過したものであるから、その余の点について判断するまでもなく、不適法たるを免れない。

四結論

よつて、原告の本訴請求は不適法であるからこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官丹宗朝子 裁判官三浦州夫 裁判官岸和田羊一)

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